薛 翔文(せつ しょうぶん)
新卒でリクルートHRマーケティング(現リクルートジョブズ)に入社。採用広告の企画営業、制作などを経て、2010年に書道家として独立。2017年よりフルタイムで私立学校教員(国語・書道)を務め、2019年から、全学広報・発展キャリアコースのディレクターとして私立一貫校に着任。現在は副業として、書道家や日本初の高校生の国内留学支援も行う。
教員の道を先延ばしにして会社員に。巡り巡って「人に教える仕事」に就いた
薛さんは様々な領域で活動されていますね!まずはそれぞれの概要を教えてください。
本業としては、四條畷(しじょうなわて)学園にて、全学広報と高校生向け発展キャリアコースのディレクターを担当しています。そのかたわら、高校生の国内留学を支援する「地域みらい留学365」の推進スタッフ、そしてフリーランスの書道家としても活動しています。
私の勤める四條畷学園は、幼稚園から大学まである私立の学校法人です。それまで学園全体の広報担当はおらず、業務は白紙からのスタートでした。そのため、広報と称していますが、現在はその前段となる経営企画まで担当の幅を広げています。高校のキャリア教育への関わりとしては、社会人を招いて将来のキャリアを考えるワークショップや、市役所とコラボレーションし、SDGsについて子どもたちに考えてもらうプログラムなどを企画・運営しています。
教育に関する仕事としてもう一つ行なっているのが、日本初の取組みとなる、高校生の国内留学支援「地域みらい留学365」の推進スタッフです。都市部の高校2年生が、1年間、地方の高校に留学する画期的な制度です。数多くの「越境する学び」を実現するためにチームで、学校や教員、生徒さんを支援しています。
また、書道家の活動は2010年から開始しました。現在はデザイン会社などから書の依頼を個人で受けています。
教育に携わるお仕事が多いですが、何がきっかけで興味を持ったのですか?
高校生のとき、アルバイトでジュニア世代を対象にテニスのコーチを始めたことがきっかけで「人に教える仕事」に興味を持ちました。人の成長って、まっすぐに右肩上がりではないんですよ。ちょっとできるようになった、と思ったらスランプに陥ってしまったり。踊り場で立ち止まってしまったり。そんな困難を突破して子どもたちが成長していく姿を、間近で見られることがすごく楽しかったんです。人の成長を後押しする仕事に就きたいと感じるようになりました。
そこから大学時代は教員を目指し、教員免許を取得。しかし、そのときはまだ国籍が中国籍だったため、公立学校にフルタイム教員として勤めることができないという現実が私の夢を阻みました。そんな経緯で、大学卒業時には就職先を民間企業に切り替えることにしました。
就職活動中に、私のキャリアを方向付ける一つの出来事がありました。たまたまキャリアコンサルタントの方々に出会い、お仕事内容を伺ってみると、教員として自分がやりたいと思っていた「人の成長を支える」ことに近かったんです。そこで、人材領域のキャリアを積もうとリクルートに入社。5年間、採用広告の企画営業や制作などを担当しました。しかし、ここでも予期せぬ困難が待っていました。リーマンショックの影響で会社の部門の財政状況が苦しくなり、キャリア転換を余儀なくされたんです。求人がなくなり、クライアントに連絡してもまったくアポイントが取れないほどの厳しい状況。退職するか、縁もゆかりもない地方に転勤するかの二択を迫られ、私は退職を決意しました。
もともと趣味だった書道を仕事にしようと考えはじめたのはこのときです。「好きを仕事にする背中を見せる」ことも「人の成長を支える」ひとつの方法だと思いました。当時の私は28歳。先行きは見えていませんでしたが、「30までやってみて、うまくいかなければまた会社員をやればいい」と気軽に構え、独立を決意しました。
突然の独立で、困難はなかったですか?
もちろん、実績が無い私が書道で生計を立てるのは、並大抵のことではありませんでした。2年間は鳴かず飛ばず。人脈を築くためにいろんなイベントに参加したり、実績作りのために知り合いの結婚式に飾る書を提供したり。思いつくかぎりの手を打ち、奮闘していました。
少しずつ活動が実を結び、書道家としての仕事が増えてきた頃、「私立学校で書道と国語を教えて欲しい」というお話を知人からいただいて。同時期に予備校の国語講師もはじめ、ご縁と流れのままに教育に関わる仕事に就くことができました。
様々な障壁を乗り越え、教育に関わるキャリアをスタートしたんですね。国語と書道の先生をはじめてから、どういった経緯で広報やキャリア教育に携わるようになったんでしょうか?
転機は2019年のことです。リクルートで広告の企画・制作をしてきた知見を買われ、現在勤める四條畷学園から「学校の広報とキャリア教育をやってみないか」と友人のつながりで誘っていただいたことがはじまりです。「自分の今までの仕事は決して無駄じゃなかった。繋がったんだ」と、お誘いを受けたときは心踊りましたね。様々なご縁のおかげで、現在のキャリアが形作られました。
民間企業を経験したからこそ今のワークスタイルを見つけられた
全学広報や高校生のキャリア教育はとてもユニークな仕事だと思います。どんなところにやりがいを感じますか?
学校や先生方と一緒になって子どもたちの可能性を広げる活動を推進できたとき、すごくやりがいを感じます。
教員はとても意義のある仕事ですが、私個人が関われる子どもの数は限られてしまいます。現場での教育はプロとして豊富な経験を積んだ先生たちにお任せし、自分はビジネスの世界や学校以外の社会と学校の橋渡しになることで、より多くの子どもたちに成長機会を提供しています。教員からのスタートではなく民間企業を経験したからこそ、今のワークスタイルを見つけられたと感じています。
最後に、今後の目標を教えてください。
私が目指したいのは、「イケてる先生」と「イケてる学校」を増やし、子どもたちが自分に合った学校で学べる環境を作ることです。高等教育までは特に、進学実績が高いことが「良い学校の条件」とされています。しかし、どんな学校がマッチするかは、その児童・生徒の得意分野や志向によってそれぞれ。いくら進学実績が高くても、学校や先生のカラーがその子に合っていなければ「良い学びの環境」とは言えないでしょう。だからこそ、「どんなビジョンを掲げる学校なのか」「どんな先生が教鞭をとっているのか」といった学校特有のカラーを引き出し、差別化していくことが重要だと考えます。そして、様々なカラーを持った「イケてる先生」、「イケてる学校」が増えることで子どもたちと学校の幸せなマッチングが生み出されると思っています。
今後は広報のみならず、企業ブランディングのようなことを学校でもやっていきたいですね。今勤めている学校だけでなく、多くの学校関係者、教育機関の困りごとを一緒に解決していき、日本の教育環境が少しでも良くなるような活動をしていけたらと思っています。