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「新卒同期」、そもそも「同期」ってどんな存在なのですか

  • 人事
  • 同期

えんどう≒遠藤涼介

株式会社アシスト 人事広報(営業本部付)

どうも、えんどうです。

Twitterを眺めていたら「新卒同期の存在がありがたい」とする内容があったので、つい気になりました。ぼくは新卒カードを利用せず、卒業するのと同時に個人事業主として経歴を開始したこともあり「新卒同期」なる存在はおりません。

だから余計に気になるところでして。

その「新卒同期」、もとい「同期」とやらの価値をイマイチ理解していない側の視点で書いてみようと思う次第です。

「同期」だからといって特別な存在ではない

そもそも同期を調べてみると、それじゃない答えが跳ね返ってきます。

2 つ以上の物事が調和して機能すること

すいませんでした。

同じ年に入学・卒業・入社・入営(入隊)することや、その人のことを指す。

だそうです。

各種学校の学年や入社した年が同じだった、何かしらの部隊や組織へ入る時期が全く同一だった、などのことですよね。わかってます。すいませんでした。

自分の人生におけるポイントとなる出来事のタイミングが同一であることから、その時期が丸かぶりしている人のことを指して「同期」と呼ぶのでしょうし、タイミングが同一になっていることを指して特別な存在だと認めているのでしょうね。

ぼくも中途入社した会社の中で入社のタイミングが一緒だった同僚はいましたし、各種学校で同学年にクラスメイトは何名もいました。部活動の同学年も入学時には30名以上いたのに最終的には7名ほどだったものの、いわゆる同期と呼ばれる人たちは存在します。

30代後半に差し掛かっている今、振り返ってみてその人たちの存在が自分にとってどれほど貴重な存在だったのかを考えているのですが、「友人」「友だち」以上の特別な存在だとは思えないのです。

共通項の話であって"話題"を共有する人たち

たとえば、部活動で一緒だった同期の人たち。

共に苦しみや悔しさ、喜びを共にした仲間たちです。彼らとの時間は、いわゆる青春時代を彷彿とさせるに十分な時間であったと思いますし、たまに話すことがあれば当時の出来事を振り返りながら楽しく会話することができます。

体験を共有した仲間、という意味では貴重な存在ですが、何もそれは部活動だけに限った話ではありません。

学校の中では別の形で一緒の時間を過ごし、何かを組み上げたり、仕上げたり、作りあげたりする「過程を共有」した級友たちは存在しますし、その過程を振り返って盛り上がることができます。

当時は、その過程を共有する中で自分なりに抱えていた悩みや苦しみを相談したこともありますし、その解決方法を共に模索してくれた友人もいます。

学校だけでなく、それは会社組織に入ってからも、それ以外の組織や寄合、会合に入る時期によっても同じでしょう。特別な存在であるのかもしれませんが、冷静に考えてみると「共通の話題を持つ友人」で済ませられるともいえるのです。

つまり、「同期」って存在は「共通項としての話題を持ちやすい状態の人」で、それ以上でもそれ以下でもないことになります。

何かしらの体験や経験を一緒にしたのなら貴重...かも

同期だからといって特別な存在なのかというと、たとえば100名も同期がいたとして、その人たち全員と深い親密な関係になれるのかといえば無理でしょう。

人間にはそれだけの時間が用意されていません。1日は24時間なのです。

では、何で関係性における濃淡が変わってくるのかというと、上でも触れていますが、一緒に何かをやり遂げたり、やり遂げられなくとも過程を共有する時間を得たりすることで体験的・経験的な価値を共有した状態ならば仲良くなれてしまうのです。

だけど、それは共通の話題が一つ増えるだけで、他の親密な関係にある友人たちと、同期の人たちとの間に序列や上下の優先順位ができるわけではありません。

ぼくも過去に所属していた組織や会社、学校などでそれぞれに同期ってのは存在しますし、彼らに助けられたこともあれば大いに感謝していることもたくさんあります。中には謝罪しても仕切れないことも一つや二つでは済間ないかもしれません。

そういう関係性にある人は確かに存在しますが、「同期だから」という理由で貴重な存在なのかというと違うよな、と。

もし、仮に自分がそのような思考になるのだとしたら、それは「傷の舐め合いをできる甘えられる関係」だと吐露していることになりそうな気がしています。

言葉が過ぎるかもしれませんが、同期だからといって特別な言葉を持っているわけでもなければ、他の時期に入社や入学をした人たちと比較して特別優秀なのかといったら、そうではないでしょう。

ただ、自分と似通った体験をしているから近しいと思っているだけです。

同じような体験や経験をしているからこそ、自分のくじけそうな時や悩みを抱えるポイントが似通っているため、助言をしやすいし受けやすい関係だともいえます。

結果、それに価値があるのかどうかを冷静に考えてみると、他の人から助言してもらうのと大差はない、と思うのは自分がおじさんだからでしょうか。

ぼくが存在の大きさを認識したことがないからかもしれませんが、決して特別な存在だったとは言いがたいものだな、というところからダラダラと書いてしまいましたが、これを読んでくださったみなさんの意見はどうでしょう。

いただけると幸いです。

ではでは。


えんどう

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えんどう≒遠藤涼介

株式会社アシスト 人事広報(営業本部付)

HR&PR(人事広報)株式会社アシスト http://assist-group.co.jp |【過去】PR|SNS|情報システム|ネット広告|専門学校職員(スポーツ系)|スポーツトレーナー|オフ...

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